芸人として活躍するチャンス大城さん。その独特な雰囲気と予測不能なトークで人気を集めています。でも、実は知られざる驚きの半生や意外な一面があるんです。結婚しているの?学歴は?そして、噂のヤバすぎるエピソードとは?気になる情報を詳しくお伝えします。
チャンス大城のプロフィール
チャンス大城さんは1975年1月22日生まれの50歳。本名は大城文章(おおしろ ふみあき)さんです。兵庫県尼崎市出身で、身長162cm、体重75kg。血液型はO型です。
特技は形態模写とギター。趣味はバンド活動と廃墟・工場見学だそうです。ちょっと変わった趣味ですね。
現在は吉本興業に所属しています。芸歴は実に35年以上。長年、地下芸人として活動してきましたが、近年ようやく日の目を見始めました。
チャンス大城の学歴と経歴
出身高校と中学校
チャンス大城さんの出身中学は尼崎市立常陽中学校です。中学時代はいじめられっ子だったそうです。でも、2年生の時にテレビ番組『4時ですよーだ』の素人出演コーナーに出て優勝。これが転機になりました。
高校は定時制の兵庫県立尼崎工業高校に進学しています。昼間は土木作業のアルバイトをしながら、夜に学校に通っていたそうです。
NSCでの経験
チャンス大城さんは14歳の時、1989年にNSC大阪校の8期生として入学しています。本来は15歳以上でないと入学できないところを、1歳サバを読んで入学したんです。すごい度胸ですね。
でも、「自分は面白くない」と感じて中退してしまいます。その後、高校卒業後の1994年4月に再びNSC大阪校に13期生として入学しました。この時の同期には千原兄弟やFUJIWARAなど、後に大ブレイクする芸人たちがいたんです。
チャンス大城は結婚してた?離婚経験があるって本当?
衝撃の結婚と出産エピソード
実はチャンス大城さん、過去に結婚していたんです。2008年のことでした。しかも、結婚と同時にパパになるという、まさに電撃的な出来事だったんです。
お相手はお笑いファンの女性でした。同居していた彼女が突然「旅に出る」と言って出て行ったそうです。後日、母親から病院に行くように言われ、行ってみると同居していた女性が入院していたんです。
そこで衝撃の事実が明かされます。「旅に出た」というのは実は「出産」のことだったんです。透明なケースの中に赤ちゃんがいて、「昨日生まれました」と言われたそうです。
さらに驚いたことに、そこには婚姻届と判子も用意されていたんです。チャンス大城さんは署名、捺印。こうして「いきなりお父さん、知らなかった結婚」という状況になったんです。
現在の家族状況
しかし、この結婚生活は長くは続きませんでした。チャンス大城さんの酒癖の悪さが原因で、3年後に離婚してしまったんです。それ以来、元妻と息子とは音信不通だそうです。
現在、チャンス大城さんは独身です。再婚の予定などは明らかになっていません。
チャンス大城のヤバすぎるエピソード
右心臓の持ち主
チャンス大城さんには、生まれつき右側に心臓があるという珍しい特徴があります。医学的には「右胸心」と呼ばれるそうです。
小学校1年生の時の健康診断で発覚しました。お医者さんが聴診器を当てて、「心臓が右側についている」と驚いたそうです。体育館にいたお医者さん全員が順番にチャンス大城さんの心音を聴いたんだとか。
実は心臓だけでなく、他の内臓も全部左右逆なんです。これを「全内臓逆位」と言うそうです。およそ5000人に1人の珍しい体質なんです。
この特徴のせいで、中学時代には「サウザー」というあだ名で呼ばれていたそうです。漫画「北斗の拳」に出てくる、右心臓の強いキャラクターからきているんですね。
山に埋められた経験
チャンス大城さんの人生で最も衝撃的な出来事の一つが、「山に埋められた」という経験です。高校3年生の時のことでした。
当時、定時制高校に通いながら昼間は土木作業のアルバイトをしていました。そんな中、「尼崎のヤンキー」に絡まれてしまったんです。
彼らに六甲山に連れて行かれ、なんと首まで土に埋められてしまったそうです。チャンス大城さんは「人生終わった」と思ったそうです。幸い、最終的には助けられましたが、本当に命の危険を感じる経験だったに違いありません。
酒癖の悪さと運転免許紛失
チャンス大城さんは過去、酒癖の悪さで有名でした。特に酔っぱらうと財布をすぐ投げ捨てる癖があったそうです。
その結果、なんと運転免許証を27回も紛失してしまったんです。免許更新に行った時には、個室に呼び出されて「偽装かなんかやってんのか」と聞かれたほどでした。
警察の調べによると、チャンス大城さんは東京で3番目に免許証をなくしていた人物だったそうです。ちなみに1番の人は79歳で、81回なくしていたそうです。
この酒癖の悪さは、前述の結婚生活崩壊の原因にもなりました。現在は禁酒を続けているそうです。
チャンス大城の才能と特徴
「天才」と呼ばれた理由
チャンス大城さんは、NSCの同期から「天才」と呼ばれていました。その才能は嫉妬されるほどだったそうです。
特に形態模写の才能が際立っていたようです。人や動物、物の形態を真似る技術が抜群だったんですね。また、即興力や独特の発想力も評価されていました。
しかし、そんな才能を持ちながらも、長年ブレイクから遠ざかっていました。周囲からチヤホヤされていた自分よりも先に同期や後輩が成功していくことが受け止めきれず、「売れてテレビに出ている芸人は全員、しょうもない」などと腐って開き直ってしまったそうです。
地下芸人時代のエピソード
チャンス大城さんは長年、地下芸人として活動していました。その間のエピソードも数多くあります。
例えば、新宿の路上で飲んでいたそうです。お金がなくて居酒屋に行けなかったので、コマ劇場の前で焼酎だけ持って飲んでいたんだとか。チャンス大城さんは「今の『トー横キッズ』の走りみたいな。1期生でした」と冗談交じりに語っています。
また、ライブ後には広場で酒を酌み交わし、つぶれるまでひたすら焼酎のストレートをがぶ飲みするという危険な飲み会を繰り返していたそうです。
さらに、カルトライブや「靴ずれ寄席」という変わったライブにも出演していました。靴ずれ寄席は、靴ずれしているお客さんは受付に申告したらタダで見られるという、なんとも珍しいライブだったそうです。
チャンス大城の最近の活動
R-1グランプリ決勝に初進出
チャンス大城さんは2025年、50歳にして初めてR-1グランプリの決勝に進出しました。芸歴35年目での快挙です。
準決勝後の会見では、「準決勝も行ったことなかったので。去年も2回戦で落ちて。まさかね…」と喜びをかみしめていました。
テレビ出演と人気の理由
最近では、テレビ番組への出演も増えています。『水曜日のダウンタウン』や『さんまのお笑い向上委員会』などの人気番組に不定期で出演しています。
また、『5時に夢中!』という番組では月1回のレギュラーコーナーを担当しています。「月刊地下芸人」というコーナーで、地下芸人ならではの視点でトークを繰り広げています。
チャンス大城さんの人気の理由は、予測不能な爆笑トークにあります。独特の世界観と、誰も思いつかないような発想で観客を笑わせます。
また、壮絶な人生経験も人気の要因の一つです。山に埋められた経験や、突然のパパ体験など、誰もが経験したことのないような出来事を赤裸々に語ります。そのリアルさと、それでも前を向いて生きる姿勢に、多くの人が共感し、応援しているのでしょう。
まとめ
チャンス大城さんの人生は、まさに波乱万丈そのものでした。右心臓、山に埋められた経験、突然の結婚と出産など、驚きのエピソードの連続です。長年地下芸人として活動し、50歳にしてようやく日の目を見始めました。その独特の世界観と予測不能なトークで、今後さらなる活躍が期待されています。